活動履歴2012

セミナーの内容

□第22回リゾナーレ室内楽セミナー

研修期間:201241日(日)~ 46日(金)
会場:リゾナーレ八ヶ岳山梨県北杜市小淵沢町
講師:岡山 潔(ヴァイオリン)東京藝術大学名誉教授
服部芳子(ヴァイオリン)愛知県立芸術大学名誉教授
山口裕之(ヴァイオリン)N響コンサートマスター
川崎和憲(ヴィオラ)東京藝術大学教授
山崎伸子(チェロ)東京藝術大学教授
河野文昭(チェロ)東京藝術大学教授
 
受講生:
Quartet Aqua Vitae
波馬朝加(Vn.)愛知県立芸術大学大学院在学中
安田祥子(Vn.)愛知県立芸術大学大学院在学中
飯野和英(Va.)東京藝術大学大学院在学中
森田叡治(Vc.)東京藝術大学1年
【受講曲】L.v.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 ヘ短調「セリオーソ」 Op.95
 
Lyra Quartett
清水公望(Vn.)東京藝術大学2
野田明斗子(Vn.)東京藝術大学2
平高朝輝子(Va.)東京藝術大学2
福本真琴(Vc.)東京藝術大学2
【受講曲】L.v.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 ハ短調Op.18-4
 
石田早輝Quartet
石田紗樹(Vn.)東京藝術大学3
下田詩織(Vn.)東京藝術大学3
松村早紀(Va.)東京藝術大学3
山本直輝(Vc.)東京藝術大学3
【受講曲】L.v.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 ヘ短調「セリオーソ」 Op.95
 
MKカルテット
萩谷金太郎(Vn.)東京音楽大学卒業
鳥生真理絵(Vn.)桐朋学園大学大学院在学中
福井 萌(Va.)桐朋学園大学大学院在学中
秋津瑞貴(Vc.)桐朋学園大学大学院在学中
【受講曲】F.シューベルト:弦楽四重奏曲 ニ短調「死と乙女」D810
 
アンサンブル N
平野悦子(Vn.)東京藝術大学卒業
東山加奈子(Vn.)東京藝術大学卒業
高橋 梓(Va.)東京藝術大学大学院修士課程修了
太田陽子(Vc.)東京藝術大学卒業
【受講曲】L.v.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 ヘ短調「セリオーソ」 Op.95
 
クァルテット・アリオーサ
山本有紗(Vn.)東京藝術大学大学院修士課程修了
崔 樹瑛(Vn.)東京藝術大学卒業
島岡万里子(Va.)東京藝術大学大学院修士課程修了
高木俊彰(Vc.)東京藝術大学卒業
【受講曲】F.シューベルト:弦楽四重奏曲 ニ短調「死と乙女」D810
 
Amber Quartet
久米浩介(Vn.)愛知県立芸術大学卒業
佐藤 奏(Vn.)桐朋学園大学卒業
高木真悠子(Va.)桐朋学園大学卒業
荒井結子(Vc.)ハンブルク音楽大学卒業
【受講曲】L.v.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 二長調 Op.18-3
 
Quartet Atom
平光真彌(Vn.)愛知県立芸術大学大学院修了
新谷 歌(Vn.)愛知県立芸術大学卒業
吉内 紫(Va.)愛知県立芸術大学大学院修了
山際奈津香(Vc.)愛知県立芸術大学大学院修了
【受講曲】J.ハイドン:弦楽四重奏曲 二長調 Op.50-6 Hob.-49
 
Quartett Hymnus
小林朋子(Vn.)ベルリン芸術大学卒業
山本翔平(Vn.)東京都交響楽団団員
松井直之(Va.)読売日本交響楽団団員
高木慶太(Vc.)読売日本交響楽団団員
【受講曲】L.v.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 へ長調「ラズモフスキー第1番」Op.59-1
 
 
緑の風音楽賞
Quartett Hymnus
 
緑の風奨励賞
クァルテット・アリオーサ
Amber Quartet
アンサンブル N
 

2012年519日(土)15時開演

 
レクチャー&コンサート
講師:松村未英(ピアノ)
堀川高校音楽科卒業。米国インディアナ大学を経て、ニューヨーク・ロチェスター大学、イーストマン音楽大学ならびに大学院で学士、修士号を修得。アウワーバック国際コンクール、キングスビル国際コンクール等に優勝、入賞。2004年よりスペイン在住。スペインの作曲家の作品を研究、フラメンコ舞踊家との共演等、積極的な演奏活動をおこなっている。
 
□コンサートプログラム
グラナドス:藁人形
グラナドス:ゴイェスカス
1
愛の言葉
窓辺の語らい
炎のファンダンゴ
嘆き、またはマハと夜啼き鳥
2
愛と死:バラード
エピローグ:幽霊のセレナータ
 
 

2012年63日(日)15時開演

 
公開レッスン&コンサート
講師:
Leipziger Streichquartett/ライプツィヒ弦楽四重奏団
Stefan Arzberger/シュテファン・アルツベルガー(ヴァイオリン)
Tilmann Büning/ティルマン・ビューニング(ヴァイオリン)
Baues Ivo/バウエス・イーヴォ(ヴィオラ)
Matthias Moosdorf/マティアス・モースドルフ(チェロ)
1988年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席奏者たちによって創設され、93年クァルテットとして独立。ミュンヘン国際コンクール第2位(1位無し)。91年ブッシュ兄弟賞、92年ジーメンス音楽賞受賞。。CDでは広範囲なレパートリーの録音を行っており、数々の賞を受賞。ヨーロッパ各地、日本を中心に演奏活動をおこなっている。東京藝術大学招聘教授。
 
□受講生
1)  堀川萌子(Vn.)桐朋学園大学4
内田咲千子(Vn.)桐朋学園大学4
島内晶子(Va.)桐朋学園大学3
塩田香織(Vc.)桐朋学園大学4
【受講曲】F.シューベルト:弦楽四重奏曲 変ホ長調「ロザムンデ」 D804
 
2)  Quartet Ariosa
山本有紗(Vn.)東京藝術大学大学院修了
崔 樹瑛(Vn.)東京藝術大学卒業
島岡万里子(Va.)東京藝術大学大学院修了
高木俊彰(Vc.)東京藝術大学卒業
【受講曲】F.シューベルト:弦楽四重奏曲 ニ短調「死と乙女」 D810
 
3)  Amber Quartet
久米浩介(Vn.)愛知県立芸術大学卒業
佐藤 奏(Vn.)桐朋学園大学卒業
高木真悠子(Va.)桐朋学園大学卒業
荒井結子(Vc.)ハンブルク国立音楽演劇大学卒業
【受講曲】F.シューベルト:弦楽四重奏曲 ニ短調「死と乙女」 D810
 
□コンサートプログラム
シューベルト:弦楽四重奏曲 変ホ長調「ロザムンデ」 D804
 

2012年623日(土)15時開演

 
公開レッスン&コンサート
講師: Siegfried Führlinger/ ジークフリート・フュールリンガー(ヴィオラ)
ウィーン音楽アカデミーでサモヒル教授に師事、ヴァイオリンを学ぶ。1965年ヴィオラに転向。1965年よりウィーン交響楽団首席ヴィオラ奏者。コンセントゥス・ムジクス団員。1980年に結成されたウィーン六重奏団のメンバーとして世界各地で演奏。EMI社から多くのCD録音をリリース。ウィーン音楽演劇大学教授。2008年東京藝術大学客員教授
 
共演:岡山 潔 (ヴァイオリン)
1970年ベルリンにてメンデルスゾーン・コンクール弦楽四重奏の部第1位。71年イザイ・メダル受賞。同年より13年間ボン・ベートーヴェンハレ管弦楽団第1コンサートマスター及びボン弦楽四重奏団、ジャパン・ストリングトリオで活躍。84年ドイツ政府より一等功労十字勲章を授与される。同年帰国、読売日響第1コンサートマスターを7年務め、エレオノーレ弦楽四重奏団、岡山潔弦楽四重奏団を主宰。神戸市室内合奏団音楽監督、札幌ふきのとうホール音楽監督、リゾナーレ音楽祭音楽監督。TAMA音楽フォーラム主宰者。ウィーン国立音楽演劇大学客員教授。東京藝術大学名誉教授。
 
服部芳子 (ヴァイオリン)
東京藝術大学附属音楽高校、同大学を経て同大学院修了。1972年ハンブルク音楽大学で国家試験およびソリスト試験に合格。ベルリンのメンデルスゾーンコンクール、弦楽四重奏部門で優勝。ブリュッセルのイザイ協会よりイザイ・メダル。ジャパン・ストリングトリオ、ボン弦楽四重奏団メンバーとして活躍。帰国後はエレオノーレ弦楽四重奏団、岡山潔弦楽四重奏団メンバー。愛知県立芸術大学名誉教授。
 
□受講生
1)河裾あずさ(Vn.)東京藝術大学3
佐藤まり子(Va.)東京藝術大学3
新納芳奈(Pf.)東京藝術大学3
【受講曲】W.A.モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364
2) 北野紫帆(Vn.)英王立北部音楽院修士課程修了
木下雄介(Va.)英王立北部音楽院卒業
【受講曲】W.A.モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ト長調 K.423
 
□コンサートプログラム
W.A.モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 変ロ長調 K.424
L.v.ベートーヴェン:2つのヴァイオリンとヴィオラのための三重奏曲 ハ長調 Op.87
 
 

2012年728日(土)15時開演

 
公開レッスン&コンサート
講師:
野平一郎(作曲、ピアノ)
東京藝術大学作曲科を卒業し、同大学院修了。パリ国立高等音楽院で作曲とピアノ伴奏法を学び卒業。作曲家としてはフランス文科省、IRCAMからの委嘱作品を含む多くの作品が国内外で放送されている。また演奏家として国内外の主要オーケストラとの協演、多くの名手たちとの共演など、精力的な活動を行っている。中島健蔵賞、サントリー音楽賞、芸術選奨文部科学大臣賞等受賞。2012年紫綬褒章受賞。「ベートーヴェン ピアノ・ソナタの探求」上梓。静岡音楽館AOI芸術監督、東京藝術大学教授。
 
共演:
漆原朝子(ヴァイオリン)
第2回日本国際音楽コンクールにおいて最年少優勝。東京藝術大学附属音楽高校、同大学を経てジュリアード音楽院に学ぶ。拠点を欧州に移し、日本、アメリカ、ヨーロッパで、一流の指揮者、オーケストラとの協演、リサイタル等でソリストとして活躍。第4回アリオン賞、1990年モービル音楽賞、奨励賞等受賞。東京藝術大学准教授。
 
□受講生
1)  松本紘佳(Vn.)桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ在学中、洗足学園高校在学中
栗田奈々子(Pf.)東京藝術大学大学院在学中
【受講曲】I.ストラヴィンスキー:協奏的二重奏曲
 
2) 加藤直子(Vn.)桐朋学園大学カレッジ・ディプロマ修了、茨城音楽専門学校付属音楽教室講師
片田道子(Pf.)桐朋学園大学卒業、桐朋学園子供のための音楽教室講師
【受講曲】I.ストラヴィンスキー:イタリア組曲
 
□コンサートプログラム
ストラヴィンスキー:4つの練習曲集Op.7より
ストラヴィンスキー:イ調のセレナード(1925)より
ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのためのディベルティメント
 
 

2012年826日(日)15時開演

 
公開レッスン&コンサート
講師:小林道夫(ピアノ、チェンバロ、指揮)
東京藝術大学楽理科を卒業後、ドイツのデトモルト音楽大学に留学、研鑽を積む。ピアノ、チェンバロ、室内楽、指揮など多方面にわたり活躍。世界的名伴奏者であったジェラルド・ムーアと比肩するとまで言われ、世界の名だたる演奏家たちと共演。サントリー音楽賞、ザルツブルク国際財団モーツァルテウム記念メダル、モービル音楽賞などを受賞。国立音楽大学教授、東京藝術大学客員教授、大阪芸術大学大学院教授などを歴任。大分県立芸術短期大学客員教授。
 
共演:岡山 潔(ヴァイオリン)
1970年ベルリンにてメンデルスゾーン・コンクール弦楽四重奏の部第1位。71年イザイ・メダル受賞。同年より13年間ボン・ベートーヴェンハレ管弦楽団第1コンサートマスター及びボン弦楽四重奏団、ジャパン・ストリングトリオで活躍。84年ドイツ政府より一等功労十字勲章を授与される。同年帰国、読売日響第1コンサートマスターを7年務め、エレオノーレ弦楽四重奏団、岡山潔弦楽四重奏団を主宰。神戸市室内合奏団音楽監督、札幌ふきのとうホール音楽監督、リゾナーレ音楽祭音楽監督。TAMA音楽フォーラム主宰者。ウィーン国立音楽演劇大学客員教授。東京藝術大学名誉教授。
 
□受講生
1) 横田智子(Vn.)東京音楽大学大学院修了 
竹沢友里(Pf.)東京音楽大学大学院修了、東京音楽大学伴奏助手
【受講曲】W.A.モーツァルト: ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調 K.526
 
2) 西 悠紀子(Vn.)桐朋学園大学4年在学中 
黒崎美由(Pf.)桐朋学園大学休学中
【受講曲】W.A.モーツァルト: ピアノとヴァイオリンのためのソナタ へ長調 K.547
 
3) 小林朋子(Vn.)桐朋学園大学、ベルリン芸術大学卒業
今井彩子(Pf.)桐朋学園大学、ベルリン芸術大学卒業
【受講曲】W.A.モーツァルト: ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 K.454
 
□コンサートプログラム
W.A.モーツァルト: ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調 K.526 
W.A.モーツァルト: ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ニ長調 K.306
 

2012年923日(日)15時開演

 
レクチャー&コンサート
講師:
福中冬子(音楽学)
国立音楽大学器楽科ピアノ専攻卒業。ニューヨーク大学大学院修士課程および博士課程修了。哲学博士。2001年~2003年ニューヨーク大学非常勤講師。2006年より慶応大学非常勤講師、2008年より明治学院大学非常勤講師。2010年より東京藝術大学准教授。現代音楽、オペラ等の研究業績が特筆される。
 
演奏:
別府由佳(ピアノ)東京藝術大学大学院修士課程2
對馬哲男(ヴァイオリン)東京藝術大学大学院修士課程1年
林はるか(チェロ)東京藝術大学大学院修士課程修了
 
□コンサートプログラム
リーム:ピアノ三重奏のためのFremde Szene, ⅠⅡⅢ
 
 

2012年1014日(日)15時開演

 
レクチャー&コンサート
講師:Cora Irsen / コーラ・イルゼン(ピアノ)
4歳でピアノを始め、ケルン音楽大学やザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学、ワイマールのフランツ・リスト音楽大学にて奨学生として学ぶ。2000年フランツ・リスト国際ピアノコンクール入賞。以来、数多くの主要オーケストラに客演したほか、ヨーロッパ各地の音楽祭に招聘される。またソリストとしてだけでなく、室内楽奏者としても意欲的に活動、知られざる名曲発掘でも知られる。
 
通訳:薮田京子
 
□コンサートプログラム
リスト:半音階的大ギャロップ
リスト:ローエングリンのエルザへの叱責
リスト:死の舞踏 
.ジャエル:ピアノ・ソナタ
 
 

2012年1123日(金・祝)15時開演

 
レクチャー&コンサート
講師:
Apollon Musagète Quartet / アポロン・ミューザゲート弦楽四重奏団
Pawel Zalezski / パベウ・ザレイスキ(ヴァイオリン)
Zachlod Bartosz / ザホヴォッド・バルトシュ(ヴァイオリン)
Piotr Szumiel / ピョトル・シュミェウ(ヴィオラ)
Piotr Skueres / ピョトル・スクヴェルス(チェロ)
ポーランド出身のアンサンブル。ヨーロッパ室内楽アカデミーにてJ.マイスルのもとで研鑽を積み、ウィーン音楽演劇大学にてアルバン・ベルク四重奏団に師事。2008年ミュンヘンARD国際コンクールで優勝。2010ECHOライジングスターにノミネートされ、12BBCのニュー・ジェネレーション・アーティストに選出される。ヨーロッパ、アメリカ、日本を中心に活躍。
 
□コンサートプログラム
ハイドン:弦楽四重奏曲 ハ長調 「皇帝」Op.76-3 Hob.Ⅲ-77
シマノフスキ:弦楽四重奏曲 第1番 ハ長調 Op.37
ヤナーチェク:弦楽四重奏曲 第1番 「クロイツェル・ソナタ」
 
 
 
 

2012年1216日(日)15時開演

 
公開レッスン&コンサート
講師:
植田克己(ピアノ)
東京藝術大学および同大学院修了。デトモルト音楽大学、1978年よりベルリン芸術大学でクラウス・シルデ氏に師事。第17回ロン・ティボー国際音楽コンクール第2位。ベルリン芸術大学助手。1980年の帰国まで欧州各地で演奏活動を展開。ソリストとしてドイツ、日本の主要オーケストラと協演。1986年~2005年『植田克己ベートーヴェンシリーズ全27回』を開催するなど企画、演奏で積極的な活躍を行う。東京藝術大学教授、同大学音楽学部長。
 
共演:
山本正治(クラリネット)
41回日本音楽コンクール管楽器部門第1位。東京藝術大学を卒業後、デトモルト音楽大学で研鑽を積み1976年卒業。1975年~1983年デユッセルドルフ交響楽団クラリネット首席奏者。ドイツ、アメリカ、日本において室内楽の分野で活躍。1999年より武蔵野音楽大学教授。2004年東京藝術大学に移り09年同大学教授。19902007年新日本フィルの客演首席奏者。エリザベト音大、日大芸術学部非常勤講師。武蔵野音大特任教授。
 
河野文昭(チェロ)
京都市立芸術大学卒業。ロサンゼルス、ウィーンでさらに研鑽を重ねる。第50回日本音楽コンクール第1位。ソリストとしてJ.コッコネンの協奏曲、L.ベリオの無伴奏曲「セクエンツァXIV」を初演。アンサンブルofトウキョウ、紀尾井ホール室内管弦楽団、静岡音楽館レジデンス・クァルテット、岡山潔弦楽四重奏団メンバーとして国内外で活躍。1990年京都音楽賞。92年大阪府文化祭賞、2017年京都市文化功労者。東京藝術大学教授。
 
□受講生
1) 亀山晴代(Vn.)桐朋学園大学大学院在学中
Park Hyun-Ah(Vc.)桐朋学園大学大学院在学中
早坂なつき(Pf.)桐朋学園大学大学院在学中
【受講曲】L.v.ベートーヴェン: ピアノ三重奏曲 ハ短調 Op.1-3
2)  芳賀史徳(Cl.)東京藝術大学、仏オーベルヴィリエ・ラ・クールヌーヴ音楽院卒業、日本フィルハーモニー団員
佐藤 翔(Vc.)桐朋学園大学大学院修了
稲生亜希子(Pf.)桐朋学園大学卒業、パリ地方音楽院卒業
【受講曲】L.v.ベートーヴェン: ピアノ三重奏曲 変ロ長調「街の歌」 Op.11
 
□コンサートプログラム
L.v.ベートーヴェン: ピアノ三重奏曲 変ロ長調「街の歌」 Op.11
 
■第22回「夏目漱石の聴いた室内楽」
2013年112日(土)15時開演
 
レクチャー&コンサート
講師:瀧井敬子(音楽学)
東京藝術大学大学院修士課程修了。『漱石が聴いたベートーヴェン』をはじめ著書多数。美術、舞踊、映像、文学など芸術の諸ジャンルを縦横に横断したユニークなレクチャー・コンサートをシリーズでプロデュ―ス。20062013年『藝大アーツ イン 東京丸の内』の総合プロデユ―サー。東京藝術大学演奏藝術センター客員教授、国立西洋美術館客員研究員、くらしき作陽大学特任教授を歴任。
 
演奏:
野田清隆(ピアノ)
東京藝術大学大学院で博士号取得。第64回日本音楽コンクール第1位。室内楽における国内外の名手との共演、主要オーケストラとの協演などで活躍、現代音楽の領域での活躍も特筆される。東京藝大ピアノ科、室内楽科講師を経て東京学芸大学准教授、東京音楽大学指揮科特別アドヴァイザー。東京クライス・アンサンブル、トリオ・エドアルテのメンバー。
 
岡山潔(ヴァイオリン)
1970年ベルリンにてメンデルスゾーン・コンクール弦楽四重奏の部第1位。71年イザイ・メダル受賞。同年より13年間ボン・ベートーヴェンハレ管弦楽団第1コンサートマスター及びボン弦楽四重奏団、ジャパン・ストリングトリオで活躍。84年ドイツ政府より一等功労十字勲章を授与される。同年帰国、読売日響第1コンサートマスターを7年務め、エレオノーレ弦楽四重奏団、岡山潔弦楽四重奏団を主宰。神戸市室内合奏団音楽監督、札幌ふきのとうホール音楽監督、リゾナーレ音楽祭音楽監督。TAMA音楽フォーラム主宰者。ウィーン国立音楽演劇大学客員教授。東京藝術大学名誉教授。
 
服部芳子(ヴァイオリン)
東京藝術大学附属音楽高校、同大学を経て同大学院修了。1972年ハンブルク音楽大学で国家試験およびソリスト試験に合格。ベルリンのメンデルスゾーンコンクール、弦楽四重奏部門で優勝。ブリュッセルのイザイ協会よりイザイ・メダル。ジャパン・ストリングトリオ、ボン弦楽四重奏団メンバーとして活躍。帰国後はエレオノーレ弦楽四重奏団、岡山潔弦楽四重奏団メンバー。愛知県立芸術大学名誉教授。
 
大野かおる(ヴィオラ)
東京藝術大学附属音楽高校、同大学を経て同大学院修了。ターティス国際ヴィオラコンクール特別賞。東京国際音楽コンクール室内楽部門第1位。アンサンブル of トウキョウ首席ヴィオラ奏者。内外の著名アーティストと共演を重ねている。大阪芸術大学大学院客員教授。東京藝術大学、東京音楽大学、洗足学園音楽大学非常勤講師。
 
河野文昭(チェロ)
京都市立芸術大学卒業。ロサンゼルス、ウィーンでさらに研鑽を重ねる。第50回日本音楽コンクール第1位。アンサンブルofトウキョウ、紀尾井ホール室内管弦楽団、静岡音楽館レジデンス・クァルテット、岡山潔弦楽四重奏団メンバーとして国内外で活躍。1990年京都音楽賞。92年大阪府文化祭賞、2017年京都市文化功労者。東京藝術大学教授。
 
□コンサートプログラム
滝廉太郎:憾み
ガーデ:ピアノ三重奏曲第1番
メンデルスゾーン:ピアノトリオ第1番 ニ短調 Op.49
ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲 イ長調 Op.81
 
 
 

2013年211日(月・祝)15時開演

 
公開レッスン&コンサート
講師:小林道夫(ピアノ、チェンバロ、指揮)
東京藝術大学楽理科を卒業後、ドイツのデトモルト音楽大学に留学、研鑽を積む。ピアノ、チェンバロ、室内楽、指揮など多方面にわたり活躍。世界的名伴奏者であったジェラルド・ムーアと比肩するとまで言われ、世界の名だたる演奏家たちと共演。サントリー音楽賞、ザルツブルク国際財団モーツァルテウム記念メダル、モービル音楽賞などを受賞。国立音楽大学教授、東京藝術大学客員教授、大阪芸術大学大学院教授などを歴任。大分県立芸術短期大学客員教授。
 
共演:岡山 潔(ヴァイオリン)
1970年ベルリンにてメンデルスゾーン・コンクール弦楽四重奏の部第1位。71年イザイ・メダル受賞。同年より13年間ボン・ベートーヴェンハレ管弦楽団第1コンサートマスター及びボン弦楽四重奏団、ジャパン・ストリングトリオで活躍。84年ドイツ政府より一等功労十字勲章を授与される。同年帰国、読売日響第1コンサートマスターを7年務め、エレオノーレ弦楽四重奏団、岡山潔弦楽四重奏団を主宰。神戸市室内合奏団音楽監督、札幌ふきのとうホール音楽監督、リゾナーレ音楽祭音楽監督。TAMA音楽フォーラム主宰者。ウィーン国立音楽演劇大学客員教授。東京藝術大学名誉教授。
 
□受講生
1) 清水公望(Vn.)東京藝術大学2
生熊 茜(Pf.)東京藝術大学2
【受講曲】W.A.モーツァルト: ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 K.454
 
2) 瀧村依里(Vn.)東京藝術大学大学院修了、ウィーン国立音楽演劇大学在学中 
香取由夏(Pf.)京都市立芸術大学大学院修了、ウィーン国立音楽演劇大学卒業
【受講曲】W.A.モーツァルト: ピアノとヴァイオリンのためのソナタ へ長調 K.377
□コンサートプログラム
W.A.モーツァルト: ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ホ長調 K.380 
W.A.モーツァルト: 「羊飼いの娘セリメーヌ」による変奏曲 ト長調 K.359
 

2013年39日(土)15時開演

 
公開レッスン&コンサート
講師:
星野宏美(音楽学)
東京藝術大学楽理科卒業、同大学院修了。博士(音楽学)。著書に『メンデルスゾーンのスコットランド交響曲』(音楽之友社)、玉川大学所蔵メンデルスゾーン自筆ピアノ譜『最初のワルプルギスの夜』(雄松堂)。楽譜校訂に“Mendelssohn Bartholdy:Sonaten für Violine und Klavier (Bärenreiter、桐山建志と共著)。楽譜解説に『メンデルスゾーン交響曲第3番』、『同第4番』、『同無言歌集』(音楽之友社)など。立教大学教授。
 
演奏:
山本美樹子(ヴァイオリン)
東京藝術大学大学院室内楽科後期博士課程修了。「ロベルト・シューマン《ヴァイオリンソナタ第3番イ短調》Wo02 作品論」にて博士号(音楽)を取得。弦楽四重奏では、東京藝術大学とウィーン音楽演劇大学の共同プロジェクト「haydn total」に参加。大阪、東京にて定期的にリサイタルを開催。東京藝術大学大学院室内楽科、お茶の水女子大学教育学部講師。
 
奈良希愛(ピアノ)
東京藝術大学卒業後、ベルリン芸術大学に進学し卒業および同大学大学院国家演奏家コースを修了。マンハッタン音楽院大学院プロフェッショナルスタディコース修了。第13 R.シューマン国際音楽コンクールピアノ部門優勝。数多くの国際コンクール上位入賞。ヨーロッパ、日本を中心にソロ、室内楽、歌曲伴奏の分野で活躍。国立音楽大学准教授、昭和音楽大学ピアノアートアカデミー講師。
 
□受講生
1) Duo Espoir(デュオ・エスポワール)
清岡優子(Vn.)東京藝術大学大学院修了、藝大フィルハーモニア 団員
大野真由子(Pf.)東京藝術大学大学院修了、同大学管打楽器科伴奏助手
2) 西川茉利奈(Vn.)東京藝術大学大学院修了、ベルリン芸術大学卒業 
吉武 優(Pf.)東京藝術大学大学院在学中
【受講曲】F.メンデルスゾーン: ヴァイオリン・ソナタ へ長調 1838
□コンサートプログラム
メンデルスゾーン: ヴァイオリン・ソナタ へ短調 1823年
メンデルスゾーン: ヴァイオリン・ソナタ へ長調 1838年

セミナーレポート

「ゴイェスカス、ゴヤが霊感を与えた音楽」

レクチャー&コンサート
   2012年5月19日午後3時開演。スタジオ・コンチェルティーノ
      お話と演奏: 松村未英(Pf)
 
 この日は、一味違ったレクチャーコンサートが開かれ、スタジオ・コンチェルティーノは満席のにぎわい。例によって、岡山代表が軽やかに松村さんを紹介、すぐ近くに住む長年の知り合いで、一緒に音楽を演奏したこと、スペイン在住で、ご主人がフラメンコの演出家であることなどをかたった。松村未英(まつむらみえ)さんは、京都の堀川高校音楽家を卒業した後、米インディアナ大学、さらにニューヨーク・ロチェスター大学イーストマン音楽大学で、学士・修士を取ったピアニスト。2004年以来スペインで、おもにファリャ、アルベニス、グラナドスなどのスペイン国民楽派の作品を研究、また、07年、セビリアでフラメンコをスペインのクラシック音楽に結びつけた自作「セレナータ・アンダルーサ」を初演し、高い評価を得た。
 
 きょう松村さんは、近代スペインのピアノ音楽の最高峰といえるエンリケ・グラナドス(1867~1916)の組曲「ゴイェスカス」全曲を休みなく演奏した。題名通り、この曲はすべてスペインの大画家ゴヤの絵や壁掛けから霊感をえている。第1部は「愛の言葉」「窓辺の語らい」「炎のファンタンゴ」「嘆き、またはマハと夜啼き鳥」。第2部は「愛と死:バラード」「エピローグ:幽霊のセレナータ」。また、通常は最後に付録のようにおかれる「藁人形」を、序曲のように初めに置いたのは松村さんの独創であろう。「藁人形」はグラナドスが「ゴイェスカス」をオペラに仕立て直した時の冒頭の音楽をピアノ曲にしたもので、これもゴヤの壁掛けに想を得ている。
 
 松村さんの情熱を込めた演奏は1時間近くに及び、会場は、ゴヤ、グラナドスの幻想、愛、嘆き、踊りのスペイン情緒でいっぱいとなり、そして「幽霊はギターの弦をひっかきながら消えた」。
 
 休憩の後、岡山代表の親しみ深い問いかけと促しに応じて、松村さんはグラナドスなどスペイン音楽との出会いのいきさつを次のように語った。わたしが学生のころ、ドイツ音楽、次いでフランス音楽というように、スペイン音楽は無視され、情報が少なく、私は何だかもやもやしていた。米国からフランスへ講習を受けに行ってある映画監督と出会った。日本にいたとき、彼から、「フラメンコ祭が東京にきているよ」とメールをもらい、見に行った。そこで出会ったフラメンコ音楽はスペインへ行ってからさらに親しんだ。この中で、フラメンコを取り入れたファリャ、トゥリーナ、アルベニス、グラナドスに出会った。フラメンコを知ったおかげで、彼らの作品をよく理解できるようになった。
「ゴイェスカス」も次第にこの曲の魅力に取りつかれた。何よりも、ライトモチーフによる物語がある。練習するほど物語がはっきりしてきた。「バラード」でマホが死ぬところなどとてもビジュアルで、「窓辺の語らい」で、男の子のテーマがあり、彼が待っていてついに彼女が窓辺に出てくる情景が目に浮かぶようになった。最後の幽霊の曲でも、人間と幽霊はであっているのに触れ合わない、教会の鐘が鳴って幽霊は去る・・・・。「藁人形」がこのような音楽の後に来るよりは、最初に持って行った方がいいと私は考えた。
 
 岡山代表の問いで、話はスペインの風土や歴史、食べ物にもおよび、聴講者を楽しませた。スペインは何よりも明るくて、光が強い。わたしにもサングラスがいる。光と影、ファリャの音楽にもこの光の強さが出ている。スペイン人はさびしがり屋でもある。スペインには公用語が4つある。カタロニアやバスクは独立したがっているし、西のガリシア地方はガリシア語を話している。スペインといえば、ハモン(生ハム)、とりわけ、黒豚のハモンは素晴らしい。パエリアはヴァレンシア地方の名物料理だが、それはそこで米がとれるからでもある。スペインは世界で一番世界遺産が多く、魅力たっぷりの地だ。
 
 このように語った後、岡山代表の「何かスペインの曲を」という促しに応えて、ファリャの小品「キューバ風」を演奏した、さらに、大きな拍手にこたえて、マヨルカ島ゆかりのショパンの夜想曲が最後に演奏された。(西谷晋記)。
 
 
 

 「シューベルトの弦楽四重奏曲」

       講師:ライプツィヒ弦楽四重奏団
   2012年6月3日(日)15時~18時 スタジオ・コンチェルティーノ
 
         【公開レッスン】
       受講曲目と受講カルテット

シューベルト弦楽四重奏曲イ短調D804“ロザムンデ”
Vn堀川萌子(桐朋学園大4年)、Vn内田咲千子(桐朋学園大4年)
Va島内晶子(桐朋学園大3年)、Vc塩田香織(桐朋学園大4年)

シューベルト弦楽四重奏曲ニ短調D810“死と乙女”
QuartetAriosa Vn山本有紗(東京芸大大学院修了)、Vn崔樹瑛(東京芸大卒業)
       Va島岡万里子(東京芸大大学院修了)、Vc高木俊彰(東京芸大卒業)

シューベルト弦楽四重奏曲ニ短調D810“死と乙女”
AmberQuartetVn久米浩介(愛知県立芸大卒業)、Vn佐藤奏(桐朋学園大卒業)
       Va高木真悠子(桐朋学園大卒業)Vc荒井結子(ハンブルク音大)
 
      【コンサートプログラム】
  シューベルト弦楽四重奏曲イ短調D804“ロザムンデ”
Allegro ma non troppo, Andante, Minuetto, Allegro moderato.
 
演奏:ライプツィヒ弦楽四重奏団
      Vn シュテファン・アルツベルガー
      Vn ティルマン・ビュニング
      Va イヴォ・バウアー
      Vc マティアス・モースドルフ
 
 近年日本でも、急速に人気と評価を高めてきたライプツィヒ四重奏団(以下略してLSQ)が指導して、演奏するというので、四重奏団9団体が応募し、そのうちの3団体が受講することとなり、聴講席も満員、会場は熱気にあふれた。そして、最近亡くなったヴァイオリンと指揮の大家でLSQが教えを受けたゲルハルト・ボッセ氏のご婦人ミチコさんが通訳として大阪から来られ、その巧みな通訳で、素晴らしいレッスンが展開された。
 
まず第一組がイ短調第一楽章全部を弾いた。これについて、LSQの4人は、こもごもに「この曲はいいテンポを見つけるのが難しい」「足りないのは音楽の流れとつながりだ。勢いのないところがある」「大きなまとまりと息遣いがほしい」などと指摘し、「この曲の言いたいことは何ですか。何を表現しようとしているのですか」と受講生に尋ねた。LSQは、シューベルトが難しいのは感情表現なのだ。悲しみの中に喜びが隠されている微妙さがある。これがベートーヴェンと違うところだ。演奏する4人の気持ちが全部出てしまう。また、冒頭の第2ヴァイオリンのむずかしさに触れつつ、第1ヴァイオリンの旋律を壊さないように伴奏する必要があると内声部への注文もあった。21小節までがひとまとまりだから、第1ヴァイオリンは伴奏にとらわれずに、もっとレガートで、第2ヴァイオリンはテヌート気味で。この当時のシューベルトは、「さすらい人」や、「冬の旅の」準備期だから、どこへ向かうのかわからないという趣が音楽にある。音のむらをなくし、ビブラートを減らして、滑らかに流れて前に向かうように。4人は同じ流れの中で、そこから外れないようにたゆたうように。自然に、考えすぎないで。さらに、アクセントについて、「ベートーヴェンと違って、シューベルトには、柔らかいアクセントもある。そこに十分注意すべきだ」という重要な指摘もあり、指導は綿密を極めた。その中で、第1組の演奏する音楽が次第に流れるようになった。
 
 二組目は「死と乙女」の第1楽章の提示部までを演奏した。これに対してLSQは「いいテンポのいい演奏だ」とほめながらも、このホールの大きさにもかかわらず、ダイナミックの差をもっと出したい、表現の幅がほしい。楽章全体を見渡しながらだが、小さな美しいところはもっと丁寧に演奏したほうがいい、などと指摘した。また、次につながるように、流れを重視して、エネルギーを保つように。冒頭の2回の問いかけは、2回目を強く。持続音の後の3連音は丁寧に、しかしべたっとしないで緊張感を持って。ここで第1ヴァイオリンだけが突出するのはまずい。また、先へ先へとつながる演奏を心がけること、ここでも「ロザムンデ」と同じくシューベルトの柔らかいアクセントへの指導があった。この曲の気分として、もっと時間がほしいのにそれがないという切迫感が表現できるとよいとの助言もあった。
 
 休憩をはさんで、第三組が登場して、「死と乙女」の第1楽章の展開部から終わりまでのレッスンが始まった。これについてLSQは「流れの中で緊張感が表現されるべきなのだが、いろいろなテンポが聞こえてきた。やりたいことはわかるが、それをテンポで解決しようとするのはまちがいだ。16分音符が擦れた感じなので、もっとすっきりと弾くように。前へ前へと行こうとするのはいいが、ヒステリックになってはいけない。第1ヴァイオリンのビブラートがかけっぱなしのところがある。4人とも走りすぎずにテンポをしっかり整えること、などの注意があった。
 さらに、弓使いについては、いろいろな場面で、弓の中ほどを使うようにといった助言があり「シューベルトの弓使いはとても難しいので、それを覚悟して、よく練習してほしい」というのが印象に残った。
 
 レッスンに力が入ったため、予定よりかなり遅れて、コンサートが始まった。LSQの4人は疲れたはずなのに、「ロザムンデ」四重奏曲全曲を実に見事に熱演した。個人的感想だが、第1楽章の展開部が実に綿密に立体的に彫琢されたこと、第2楽章がとても柔らかくレガートで演奏されたこと、第3楽章冒頭のチェロが力強かったこと、第4楽章のゆったりしたテンポが快かったことが印象的だった。まことにシューベルトの四重奏曲の奥の深さを教えられたLSQによるレッスンとコンサートであった。
(西谷晋 記)
 
 

  「モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラの二重奏」

     講師:ジークフリート・フュールリンガー
   2012年6月23日(土)15時~18時 スタジオ・コンチェルティーノ
 
 今日はウイーンからヴィオラの大家を招いての公開レッスンとコンサートの日である。
一年前にブルックナーの弦楽五重奏のレッスンで来られる予定だったが、大震災とご体調の問題で延期となり、やっと今日実現したという岡山潔・TAMA音楽フォーラム代表のあいさつで始まった。岡山代表がウイーン音楽大学に招かれたときに出会い、音楽家として尊敬し、共感を覚えたという。その前から、何度も来日し、日本の禅文化への造詣を深めている点でも貴重な方だと紹介された。フュールリンガー先生は「この音響の素晴らしい素敵な空間に来られてうれしい。さっそくはじめよう」と応じた。
 公開セミナーは、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364の第一楽章で始まった。東京芸大3年生、河裾あずさ(Vn)、佐藤まり子(Va)、新納芳奈(Pf)の3受講生が演奏し、先生は自分のヴィオラを持ちながら、実に懇切な指導をした。主な内容は以下の通り。
*ソロの出だし(72小節から)のフレーズは切らないで、先へつなげていくこと。ヴィオラは第一ポジションで弾くこと。ヴァイオリンはもう少し倍音がほしいので駒に近いところを使うこと。
*大きなフレーズを作るには弓の配分が大切だ。
*出だしの斉奏では、ヴィオラが基本を作り、そこから音楽が発展するようにしたい。フレーズがつながっていくように。音楽が途切れないように。
*出だしの前打音の音がぼやけることがある。ずれないようにはっきりと合わせること。
*(122~123小節あたりから)音楽がつながって流れるように。音の連なりを同じように弾いているが、もっとメリハリをつけて。
*この楽章はアレグロ・マエストーソだから、もっと落ち着いて、堂々と演奏しよう。
*細かい音符は丁寧に、しかし軽やかに。レオポルト・モーツァルトは教則本の中で、細かい音型が出たときにもよく歌うようにと注意している。ここでも、特に16分音符がそうだが、一つ一つの音がとても大切なのだ。そのように弾いてほしい。
 
 レッスンは小憩の後、ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲K423を桐朋学園大卒業後、英王立北音大修士修了の北野紫帆さん(Vn)と英王立北音大卒業の木下雄介さん(Va)が演奏した。先生による主な注意は以下の通り。
(第一楽章)
*最初の4小節までがひとまとまりだから、そのように演奏するように。
*モーツァルトにはいつも驚きの表現がある。第4小節の後半のpのところは突然の表情の変化を出したい、それを大切にしたい。
*21小節のヴィオラのバスはpの表示ながら、しっかりと響かせるように。
*30小節の4拍目から31小節の推移を滑らかにするように。
*39小節以後、大事な音のラインが聞こえるように弾くように。スラーとテヌートを弾き分けること、同じように弾いてはいけない。
*展開部49小節、この2小節のフレーズがつながるように。
*58小節から、ヴァイオリンとヴィオラが張り合う感じがほしい。
*98小節あたりも典型的なモーツァルト、突然フォルテに変化しているね。
(第2楽章)
*出だしが遅すぎるとの注意があった。出だしのヴィオラのたゆたうような変化にとんだ音型の表現への細かい指導があった。
*第4小節のヴァイオリンのフレーズがつながっていくように。先へ先へ向かっていくように。
 公開レッスンは時を追うように、受講生の演奏が生き生きとよくなるので、先生の笑顔が印象的であった。
 
 休憩後、コンサートに移った。モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲K424を岡山潔とフュールリンガーが演奏した。二人の友情を確かめるような、親密な対話の中に精神の厳しさがのぞく演奏と思えた。この後、ヴァイオリンに服部芳子が加わってベートーヴェンの2つのヴァイオリンとヴィオラのための三重奏曲作品87が演奏された。この曲は本来、オーボエ2本、イングリッシュホルンのための三重奏で、これをベートーヴェン自身が編曲した。多少の改変があり、編曲に妙味があると岡山氏が説明した。変化にとんだ佳曲という印象、ベートーヴェンの隠れた一面をのぞかせるようでもあった。演奏はとても和やかで、楽しさがスタジオに満ち溢れた。アンコールとしてドヴォルザークの4つの小品からのカヴァティーナがしみじみと流れた。
 最後にフュールリンガー先生が「演奏会は聴衆が決めるのです」とあいさつし、聴衆を喜ばせた。
 
(西谷晋 記)
 
 
 

「ストラヴィンスキーの二重奏曲」

公開レッスン&コンサート
講師;野平一郎
2012年7月28日(土)  スタジオ・コンチェルティーノ
 
 
東京藝大教授であり、作曲家、ピアニストとしても第一線で活躍中の野平一郎さんの登場は、昨年8月の第5回セミナーに次いで2度目になる。前回のプーランクに続いて、今回取り上げられたのは、ストラヴィンスキー(1882~1971)の二重奏曲。一般の音楽ファンにとって、時折り耳にすることはあっても、なかなか全貌のつかめない興味深い分野の名曲たちが、これ以上望めない最適の講師によって解説され、公開レッスンが行われ、さらに演奏まで聴けたのだから、会場を埋めた聴衆にとってはまことに得難く、贅沢な時間になった。
 
実際、公開レッスンの課題曲になった①「デュオ・コンチェルタンテ」(作曲されたのは1931~2年)②「イタリア組曲」(1934年)、そしてコンサートで演奏された③「ディヴェルティメント」(1949年)は、いずれもストラヴィンスキーがヴァイオリンとピアノの二重奏のために書いた傑作であり、現代の古典になっていることが実感された。このことは、一組目の受講生であるヴァイオリンの松本紘佳さん(桐朋学園ソリスト・ディプロマコース、洗足学園高校)・ピアノ栗田奈々子さん(東京藝大大学院)のコンビの演奏が何よりも雄弁に物語っていた。
 
「二人で二重奏をやるようになって、まだ数カ月」とのことだが、二人はまず15分ほどかかる①の全曲を、淀みなく弾き通した。日本語では「協奏的二重奏曲」と訳され、5つの楽章からなるこの曲は、②③が自作のバレエ音楽を二重奏用に編曲したものであるのに対し、最初から二重奏のために書かれたオリジナル。しかも、ストラヴィンスキーが同じロシア出身のヴァイオリニスト、サミュエル・ドゥーシュキン(1891~1976)のために、それも自分がピアノを弾いて共演する目的で書いたというだけに、ヴァイオリンとピアノが「独奏と伴奏」という主従の関係ではなく、火花を散らしてぶつかり合う「協奏」になっているのが特徴的だ。
 
月並みな表現だが、「高校生とは思えない」あざやかさで、松本さんはこの曲を弾きこなした。いささか興奮気味に「うん、とってもいい」と感想をもらしてから、野平さんは「松本さんにとって、ストラヴィンスキーってどういう人?」「この人、カメレオンみたいな作曲家だと言われてたんだけれど、1931年の彼はどういう場所にいたんだろう」と矢継ぎ早に質問の矢を放つ。答えを待つ間ももどかしく、「新古典主義」と呼ばれる時期にあったストラヴィンスキーが「ロマン派を忌み嫌い、ワーグナーの『パルジファル』なんて大嫌いだった」ことを説明してから、まず出だしの演奏分析が行われた。「ピアノのおどろおどろしい序奏に応じるには、フレーズをもっと自由に、色をつけて。拍節にとらわれすぎずに、うんとファンタジックでいいと思う」。
 
ピアニストとして、たぶん何度もこの曲を演奏し、隅の隅まで知り尽しているのだろう。「リタルタンドはし過ぎないで」「リズムを大切にしながらフレーズに変化をつけて」「なにげなく、顔色一つ変えずに、すっと移行すること。『よっこらしょ』ではなく」といった具体的、実際的な指摘がなされ、それを受けて二人の演奏はどんどん変化していった。これが公開レッスンの醍醐味というのだろう。あたかも化学実験の場に居合わせたような、明白な化学反応が実感出来た。
 
二組目は、ヴァイオリン加藤直子さん(桐朋学園ディプロマコース修了、茨城音楽専門学校付属音楽教室講師 ) とピアノの片田道子さん(桐朋学園大学卒、MSU College of Music in Todi, Italy マスタークラス修了、桐朋学園子供のための音楽教室講師)。この日の3曲の中では最もよく知られている②の、「全曲だとちょっと長すぎるので」第1、2曲および終曲が演奏された。イタリア・バロック期の作曲家ペルゴレージの音楽を素材にしたバレエ音楽「プルチネルラ」(1920年)を、ドゥーシュキンの協力で二重奏用に編曲したもので、親しみやすく簡素なメロディーが散りばめられている。
 
ここでも「旋律の美しさをもっと自分で感じて」「そこのピアノは、猫が爪で引っ掻くような、あるいは鍵盤が百度くらいあって熱すぎて、ほんの少ししか触れられないような感じで」「ストラヴィンスキーがペルゴレージをデフォルメした部分を、ヴァイオリンとピアノの二人がかりであばき出すように」「曲の最後も、リタルタンドなんかしないで、一気に弾き切って、さりげなく終るのがいい」などと、ユニークで分かり易い指摘が次々に繰り出された。みるみるうちに、演奏に多彩なニュアンスと軽みが加わっていき、受講者も聴衆も大きな充足感に満たされながら公開レッスンが終った。
 
休憩後のコンサートもストラヴィンスキー一色で、まず野平さんのピアノ独奏で「ピアノのための4つの練習曲集 作品7」(1908)から1,2,4曲と、「イ調のセレナード」(1925)の1,3曲が演奏された。めったに聴けない曲がまことに鮮やかに、印象深く会場に流れ、この作曲家の偉大さを再認識させてくれたように思う。そして、締めくくりの③。野平さんと同様東京藝大で教鞭をとる漆原朝子さんが、この曲だけのために登場しヴァイオリンを弾いたのだが、白熱した素晴らしい協演となった。もともとはチャイコフスキーの音楽をヒントに書いたバレエ音楽「妖精の接吻」をストラヴィンスキー自身が編曲したもので、円熟した作曲技法と演奏の見事さがかみ合い、奇跡のような時間が流れた。勝手な想像だが、お二人は藝大で、あいた時間を利用して繰り返し練習を重ねてきているのだろう。練習を洩れ聴く機会のあった藝大の学生たちにとって、それは何にも勝る勉強になっただろうし、そして練習の成果をこの日スタジオ・コンチェルティーノで味わうことの出来た我々にとっては、この上ないご馳走だった。
(舟生素一)
 

「モーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタ」~その3~

講 師:小林 道夫
2012年8月26日(日) スタジオ・コンチェルティーノ
 
 長い残暑が続く8月最後の日曜日の午後、スタジオ・コンチェルティーノはまたも満席だった。この室内楽セミナーの初回(2011年4月23日)、第8回(同12月4日)に次ぐ小林道夫先生の「モーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタ」の3回目。公開レッスンは竹沢友里さん(Pf=東京音楽大学大学院修了、同大学伴奏助手)と横田智子さん(Vn=東京音楽大学大学院修了)によるK526で始まった。小林先生は目を閉じたり、立ったまま手を前に組んだりして、第1、第2楽章にじっと耳を傾ける。「K525は何でしたっけ。そうアイネ・クライネ・ナハトムジークです。このころ(1787年)のモーツァルトはいろいろ無駄が落っこちてきて特に第1楽章はスリムです」「(いまの演奏は)再現部で元気がよくなってしまった。あまりテンポが勝手にならないように。“おしゃべり”が面白くなってしまい、全体のきれいな流れがわからない・・・」と、自然な流れの把握の大切さを説く。「K500番台までくると、モーツァルトは(楽譜に指示を)いろいろ書くようになります。この曲はそうは(多く)書いてないが、いろんなforte、いろんなpianoがあると思って下さい。brillianteで弾くことの喜びが伝わってくるように」と続ける。
 第2楽章の指導では、「Andanteだから足で歩いて。同じ音形がたくさん出てくるので、暑苦しくならないように、さらさら行って下さい」「バロックの伝統があり、長い音符は存在を主張している。細かい音符はあまりドタドタとならないように」。そしてモーツァルトを演奏者がどう受け止めるかについて、「本当を言うと、考えぬいたうえで、考えた顔をしないこと。ギーゼキングかな、譜面を見て暗譜できるまで音を出すな(と言ったのは)。そんなことできっこないですが」とにっこり。お二人がシュナーベル・フレッシュ版という一昔前の楽譜を使っている点について、「演奏のために(奏者によって多くの指示が)書き込まれた版は難しいので、なるべく避けた方が」と付け加えた。まずは原典を大事にし、特定の演奏家の解釈を鵜呑みにしないこと、という趣旨だと思った。
 次の黒崎美由さん(Pf)と西悠紀子さん(Vn)は桐朋学園大学の学部生。課題曲のK547を通しで弾く。先生の指導は技術面が多かった。「自然にくったくなくやってくれて、健康優良児の体当たりのようです。もう少し約束ごと覚えなければいけない」。黒崎さんには「ペダルはあまりたくさん使わない方がいい。モーツァルトの時代は(足ではなく)膝ペダルだったので、器用には(操作が)できなかった」「4拍目が強いのはなぜか?そう言う音楽はもっと後にならないと出てこない」「手首が踊りすぎて指が邪魔されている。なるべく指の動きで弾いて下さい」。西さんには「ちょっと細かいと思う。2小節くらいしか先が見えていない。せっかくきれいなフシなのに、一生懸命弾きすぎて、モーツァルトでないものになっている。いわば虹をかけるように弾いて下さい」。モーツァルトが生きた時代、当時の楽器の性能、それらから生まれた楽曲の特徴を理解したうえで、演奏に生かしてほしいということなのだろう。
 3組目は今井彩子さん(Pf=桐朋学園大学・ベルリン芸術大学卒業)、小林朋子さん(Vn=桐朋学園大学・ベルリン芸術大学卒業)のお二人で、ともに桐朋学園で講師をされている。課題曲のK454を通しで弾いた。先生はまず「ほとんど申し上げることはありません」と評価したうえで、「にっこりしたところ、お互いに楽しむところがない」と、ハイレベルの指摘。さらに、「細かいところは軽く。エコ(省エネ)をお勧めします。指だけで弾いてニュアンス、音色を出す」「sforzandoはダイナミックなアクセントではなく、espressivoなアクセントで」などと注文した。
 ところで、指揮者のクリスティアン・ティーレマンはベートーヴェンの第6交響曲「田園」について、「聖なる単純明快さ(heilige Einfachheit)」という言葉を使っている。簡明だからこそ素晴らしいといった意味だろう。モーツァルトの作品にも同じことが言えるものが少なくないのでは(前者が推敲を重ねたのに対し、後者はいわば、ひと筆書き風だったかもしれないという違いはありそうだが)。この種の作品は易しくて難しい、つまり譜面は単純なのに演奏家が作曲家の意図を十分に汲み取って響きを再現するのは簡単ではない。ある作家が小説の登場人物に言わせている「トスカニーニのモーツァルトは聴きたくない・・・」は、たぶん当たっている感じがする。
 レッスンのあとは小林先生と岡山潔TAMA音楽フォーラム代表によるコンサート。K306に課題曲のひとつK526、アンコールにこたえてK404が演奏された。モーツァルトの音楽が彼の時代よりもずっと美しく響いているに違いないと思いながら聴いた。それは主にピアノの性能の違いから来るように思う。ヴァイオリンづくりがストラディヴァリとグァルネリの時代、つまり17世紀後半から18世紀前半に頂点を極めたのに対し、現代のピアノは18世紀末から19世紀の半ばころにかけて確立されたので、1791年に早世したモーツァルトには、高性能のモダン・ピアノを使う機会がなかった。
ピアノは鍵盤楽器だが、張った弦をハンマーでたたくメカニズムから打弦楽器とも言われる。かつての時代との大きな違いは弦の長さや材質に関係がある響きはもちろん、音域と音量・強弱の幅、それに小林先生がレッスン中に指摘したペダルの性能などだろう。これらの改善が奏法自体を変え、作曲技法の幅を広げた。ベートーヴェンはピアノソナタ第29番(ハンマークラヴィーア)をより高音が出るピアノと、より低音が出るピアノの2台を使って作曲した(1818年)という説がある。そうだとすると、作曲家ベートーヴェンがこの大曲を1台で演奏できるようピアノ製作技術の革新を促した、と見ることもできそうだ。
 スタジオ・コンチェルティーノのピアノは北ドイツ・ハンブルクで製造している著名なスタインウェイ(Steinway)。本社はニューヨークで、同地とハンブルクでつくられているという。失礼ながら、概して量の追求は得意だが、質は苦手のアメリカでヨーロッパの伝統を受け継ぐ優れたピアノが開発、製造されているのは何とも意外だ。電子百科事典ウィキペディアには、ドイツの楽器職人でオルガン奏者でもあったハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーク(1797~1871年)が妻や3人の娘、4人の息子とアメリカへ移住し、1853年にニューヨークで会社を設立してピアノの製造を始めた、とある。彼はその翌年、名前を英語式のヘンリー・E・スタインウェイと改めたのだという(「道」を意味するドイツ語のWeg は英語では way)。それで納得が行った(ただ、当人が「石」を意味するSteinをstoneに変えなかった理由はわからなかった)。
今日の公開レッスンで、ピアノとチェンバロの巨匠、小林先生から直接、指導を受けた受講生の皆さんは、大いに励みになったことだろう。筆者も先生のモーツアルトにじかに接することが出来て感動した。セミナー冒頭のあいさつで岡山代表から、小林先生には何回でも講師をお願いしたい旨のお話があったが、次の4回目はすでに固まっていて、来年の2月だという。
 
(走尾 正敬)
 
 

 「W・リームのピアノ三重奏曲」

レクチャー&コンサート
講師:福中 冬子(東京藝術大学准教授)
 
2012年9月23日(日)午後3時 スタジオ・コンチェルティーノ
 
1.レクチャー 「現代ドイツを代表する作曲家、ヴォルフガング・リームの人と作品」
 
2.コンサート ピアノ三重奏曲 “Fremde Szene I II III”
別府 由佳(Pf)、對馬 哲男(Vn)、林 はるか(Vc)
 
 
 お彼岸の中日を過ぎて、ようやく長い残暑が終わったのはよかったが、あいにくの雨模様。聴講生はいつもより少なめだった。この日は第18回のセミナー、つまり昨2011年4月のスタートから1年半目にあたる。そのタイミングで現代音楽が初めて登場した。選んだのは現代ドイツを代表する作曲家ヴォルフガング・リーム(Wolfgang Rihm 1952~)。レッスンにコンサートという、いつもの形とは違い、まず現代音楽を中心に研究している福中冬子・東京藝術大学音楽学部楽理科準教授(音楽学)によるレクチャーがあり、若手演奏家によるコンサートが続いた。
 
レクチャーに先立って開会の挨拶をしたTAMA音楽フォーラムの岡山潔代表は「これまで、いろいろなテーマで室内楽セミナーをやってきましたが、今回初めて、現代の作品をとりあげました。現代音楽と言うと、今のクラシック音楽界の中心から敬遠されがちです。退屈きわまりない作品、演奏もあるので、食わず嫌いの人たちが多いようです。しかし、そこから発しているもの、余韻が残るものは実際にあります。音楽はベートーヴェン以降、(内容の面で)発展がないという人もいますが、一方で音楽を追求し続けている人たちもいます」と、現代音楽の置かれた状況を概説した。
 
 リームは今年60歳。日本流に言うと還暦を迎えた。これを記念して、東京藝術大学では去る6月1日、同大学の奏楽堂で「生誕60年記念コンサート」を開催、藝大フィルハーモニアの管弦楽、パリ国立高等音楽舞踊院のジョルト・ナジ教授の指揮で、いずれも日本初演となるヴァイオリンと管弦楽のための「第3の音楽」(1993年作曲)、ソプラノと管弦楽のための「猟区」―夜の情景―(2004、05年作曲)をとりあげた。演奏に先立って福中先生が作曲者や作品などについて講演した経緯がある。「これは管弦楽作品だったので、今度は室内楽をお願いしました」(岡山代表)。
 
 レクチャーで福中先生は「博士論文を書くにあたってリームの作品のCDを聴き、変な曲だと思いました」と第一印象を語る。「リームはいろんな意味で偉大なシュトックハウゼンの次の世代の第一人者で、ドイツの『田舎町』のカールスルーエに生まれ、ずっとそこに住んでいます。飛行機嫌いで旅をしない。その理由は創作をしたいからだという。多作で未出版のものを含め、400曲くらい書いています。スケッチを描かない即興的、ファンタジア的な楽曲で、論理的に理解する必要はない」などと紹介した。
 
 先生は「彼の作品にはドイツならではの背景がある」と解説する。いわゆる退廃音楽というレッテルを貼ってユダヤ人作曲家の作品の演奏禁止、ユダヤ人演奏家の排除などを強行したナチ時代、敗戦ですべてがゼロに帰し、ゼロからの出発を余儀なくされた「ゼロ時間(Stunde Null)」、戦後初期の連合国による非ナチ化やアメリカ主導の現代音楽の振興といった歴史が色濃く反映しているという。「現代音楽にはひどいものもある。しかし、彼の場合は子供のころに合唱団にいた経験からか調性、つまり緊張と弛緩が根本にあります。ブーレーズやシュトックハウゼンにも調性の素地がある」「リームはオーディアンスが何を聴くか考えながら書いている。1950年代後半から60年代前半にかけてのジョン・ケージらの「偶然性の音楽」に対し、「新たな単純性」と呼ばれる調性的要素、とっつきやすさ、オーディアンスを重視する姿勢を打ち出したリームの作風は一部から保守的とみなされたこともある」などと続けた。
 
 コンサートでとりあげたピアノ三重奏曲「Fremde Szene I II III」は1982年から84年にかけて作曲されたもので、曲名は「異質な(あるいは奇妙な)情景」といった日本語に相当する。「リーム自身、シューマンの後期の作品とマーラーに特に影響を受けたと言っていて、この曲はシューマンにささげられている。fremdは英語のalienに相当し、身近に感じはするが、一方で距離感もあって理解できないといった意味です。I II IIIは3つの曲と考えてもよいし、第一、第二、第三楽章と考えてもよい」と福中先生。
 
演奏は東京藝術大学大学院修士課程2年の別府由佳さん(Pf)、同1年の對馬哲男さん(Vn)、同修士課程修了の林はるかさん(Vc)で、「おそらく日本初演でしょう」(福中先生)。Iはピアノのものすごい強打、ヴァイオリンとチェロの少しざらざらした摩擦音、IIの終結部は水滴がポトポトと滴り落ちる間隔が次第に長くなり、最後の一滴が落ちると、やや長い沈黙が続いて終わるといった感じをピアノが奏でた。IIIは静寂・突然の大音響・再び静寂・また大音響・・・。筆者個人は無調、無形式、不協和音は苦手にしている。曲名の通りで、ほとんど理解できなかった。聴きなれた古典派やロマン派の音楽とは違って、海図のない航海というか、次にどんな展開があるのか予測できないため、大いに緊張する。確かに「熱のこもった演奏」(岡山代表)だったので、聴き終わって、どこか解放された感じがした。
 
電子百科事典ウィキペディア(ドイツ語版)は、リームの作風を3期に分けて解説し、①初期はベートーヴェンの後期の器楽曲からシェーンベルク、ウェーベルンへとつながる伝統と結びついている(新たな単純性)、②1980年代は的確で完結なスタイルへ発展。響きは象徴(暗喩)として示されている、③90年代以降はテーゼとアンチテーゼが先鋭的に現れ、ジンテーゼ(両者の総合)を追求し続けている。音楽表現のさらなる簡潔さが高い名人芸による構築物(作品)を生み出している――などと賞賛。75年に作曲された交響曲第2番は翌76年に若杉弘指揮ベルリン放送交響楽団が、同第1番(69、70年作曲)は84年にゲルト・アルブレヒト指揮ニーダーザクセン州立歌劇場管弦楽団が、それぞれ初演した。また、ザッハー、サヴァリッシュ、ブーレーズ、マゼール、シノーポリ、シャイー、ナガノ、パーヴォ・ヤルヴィといった有力指揮者がリームの管弦楽作品を初演している。現役の作曲家とあって、まだ歴史的な評価をするには早いのだろうが、大物であることは確かだ。
 
現代音楽とはいったい何だろう、と帰りの電車で考えた。ロマン派までの音楽には演奏者と聴衆の一体感が醸し出される特徴がある。これに対し、20世紀以降の新しい潮流は、それが近代音楽と現代音楽とに区切られるにしても、あるいは一括して現代音楽と呼ばれるにしても、何となく作曲家個人のもの、という印象がしないでもない。もしかすると、自然科学や数学などで言う「複雑系」の音楽版ではないのか。この複雑系(complex system)とは「相互に関連のある複数の要因によって生じる全体的な動きないし性質であって、単純な平衡(均衡)理論や最適化理論、要素還元的な手法では解明できないもの」とされ、脳をはじめとする生物の組織とか、人間社会、地球環境などが典型例だが、ロマン派までの音楽が人間の感性、知性、理性に総合的に訴えかけるのに対し、現代音楽は作曲家自身の心の動きを音と時間の経過を用いて、ミクロのレベル、細胞とか分子次元の動き(つまり複雑系)として表そうとしているような感じがする(この場合、上記の「全体的な動きないし性質」が音楽作品ということになる)。こんなことを言うと、荒唐無稽と一喝されそうだし、リームが聞いたら自分の作品はそんなものではないと否定するだろう。ともかく、筆者がその答えを見つけるまでには、かなりの時間がかかりそうだ。
 
(走尾 正敬)
 
 

 

 「コーラ・イルゼン ワイマールでのリストとの出会い」

 
演奏と朗読 コーラ・イルゼン (通訳:薮田京子)
 
2012年10月14日(日)  スタジオ・コンチェルティーノ
 
 
 
「『リストは痩せこけた若者で、蒼白な顔つきを黒っぽい長髪が縁取っていました。一礼してピアノに向かい、弾き終えるや彼の上に花束が雨あられのように降り注ぐのです。若い娘たちはもちろん、かつて娘だった老婆たちまでが、持参した花を投げ入れて』。詩人ハンス・クリスティアン・アンデルセンは、リストについてこう伝えています」。
 
語り終えてピアノの前に座り、通訳の言葉が終るのを待って、やおら「半音階的大ギャロップが弾き出される。
 
 
 
リスト演奏のスペシャリスト、コーラ・イルゼン女史によるレクチャー・コンサートは、このようにして始まった。演奏者が同時に朗読(というか、自身で書いた原稿を、読むというより、聴衆に語りかける)をし、そして朗読の区切りごとに、ピアノ演奏が行われる。つまりイルゼン女史は、コンサートの構成者ないし演出家をも兼ねているわけだ。
 
 
 
めったに経験することの出来ない催しだが、例がないわけではない。ヨーロッパ、中でもドイツやオーストリアなどでは、こうしたやり方、つまりピアニストが解説・朗読をまじえつつ演奏を披露する音楽会が、十九世紀の頃からあったようだ。貴族の邸宅とか、古いお城の広間などで、せいぜい数十人の聴き手を前にして行われる、いわゆるサロン・コンサートである。規模としては、この日のスタジオ・コンチェルティーノはまさにうってつけで、聴衆はイルゼン女史の息遣いまで感じながら、いわば「貴族の気分」でその語りと演奏を味わうことになった。
 
 
 
さて、今どきのアイドルさながらの人気を誇った若き名人ピアニスト、フランツ・リストは、イルゼン女史によれば「やがてヴィルトゥオーゾ(名人芸)を誇示することに嫌気がさし、自分の思想を自由に追求することを目指して、1848年にワイマールにやって来ました」。
 
 
 
「ワイマール宮廷楽団の首席指揮者に就任したリストは、リヒャルト・ヴァーグナーと知り合い、その音楽に深く傾倒して、以後精神的兄弟ともいうべき深い友情で結ばれることになります」「そして1850年8月28日、文豪ゲーテの誕生日に、リストの指揮でヴァーグナーのオペラ『ローエングリン』がワイマール宮廷劇場で上演されました。並はずれた巨額の費用をかけ、さらに歌手や楽団員を鼓舞しながら、リストはほとんど不眠不休の努力を傾注したのです」。
 
 
 
この言葉の後で演奏されたのは、「ローエングリンのエルザへの叱責」。よく知られているように、リストは数多くのオペラをはじめ、当時人気を博した音楽作品をピアノ独奏用に編曲しており、これもその一つだが、リストのヴァーグナーへの深い敬愛の念が感じられる名曲だ。
 
 
 
なお、この日のコンサートは、岡山潔TAMA音楽フォーラム代表が挨拶で述べた通り、「イルゼンさんご本人の希望で、休憩なしで」行われた。ワイマール時代を中心としてリストの生涯をたどり、関連するピアノ作品に浸るには、たしかに休憩を挟まずに集中して聴き通すことが必要だったと思われる。
 
 
 
演奏はさらに、作曲家としてのリストの代表作というべき「メフィスト・ワルツ第1番」、「愛の夢第3番」と続き、その間にカロリーネ・フォン・ザイン=ウィットゲンシュタイン侯爵夫人、マリー・ダグー伯爵夫人らとの恋愛沙汰にも話が及んだ。リストの「女性遍歴」は有名だが、イルゼン女史はここで、「今やまったく忘れられた」リストの弟子の一人、ピアニストで作曲家でもあった女性、マリー・ジャエルに話を進めた。
 
 
 
1811年生まれのリスト(1886年没)とは一世代下のジャエル(1846~1925)は「ヨーロッパ全土を演奏旅行したピアニストであると共に、24歳の時から始めた作曲がブラームスやサン・サーンスらの高い評価を得て、八十曲以上の作品がその存命中に出版され」たという。そして、1883年から86年までの間は毎年数か月をワイマールで過ごし、リストの助手を務めると共に、親密な友人となった。「二人を結びつけていたのは、お互いに対する深い敬意でした。では次に、彼女の作品から、偉大な師であり助言者であったリストに捧げられたピアノ・ソナタの第一楽章を聴いて頂きます」。
 
 
 
こうして演奏されたソナタは、この日の聴衆全員が初めて耳にした筈。リストを彷彿とさせるロマンティックな曲想を持ち、イルゼン女史の熱演によって盛大な拍手が起こった。次いで演奏された「練習曲」と合わせ、ジャエルの名は聴衆の胸に深く刻みつけられたように思われる。
 
 
 
コンサートの最後は、「16歳の時から鬱の症状に見舞われ、死について考えることが多かった」リストが、「グレゴリオ聖歌『ディエス・イレ(怒りの日)』に基づく変奏曲として作曲した」という「死の舞踏」で締めくくられた。アンコールで演奏された「コンソレーション」と共に、リストへの共感と華麗な技巧が印象的で、イルゼン女史は鳴りやまぬ拍手に笑顔で応えていた。
 
 
 
昨年が生誕二百年の記念年だったリストだが、その全貌はまだよく知られているとはいえまい。中心となるピアノ作品でも、全4巻26曲からなる「巡礼の年」、10曲からなる「詩的で宗教的な調べ」などの曲集は、部分的には聴いたことがあっても、全曲となるとなかなか耳にする機会がない。この日のコンサートを聴き終えて、いつの日かまたイルゼン女史の解説と演奏でこれらの曲集を味わうことができたら、と強く思ったことであった。
 
 
 
(舟生 素一)
 
 
 
 
 

 

「シマノフスキーの室内楽作品」

 
   2012年11月23日午後3時開演。於:スタジオ・コンチェルティーノ
 
 
 
レクチャーコンサート
 
     アポロン・ミューザゲート弦楽四重奏団
 
 
 
 この日はポーランド出身の若手4人が2006年に結成したアポロン・ミューザゲート四重奏団の登場である。08年、第1位を出すことの稀なミュンヘン国際音楽コンクール室内楽部門で第1位と特別賞を受賞して一躍注目された。現在はおもにドイツ、オーストリア、その他欧州の主要都市で活動している。まさに日の出の勢いの活躍ぶりといわれる。最近、東京芸術大学とウイーン音楽大学が4年がかりでハイドン弦楽四重奏曲全68曲のCD録音プロジェクトを完成させ、この記念式典が東京で開かれることになり、それを機にこの四重奏団が来日した。全68曲のうちの2曲を同四重奏団が担当している。
 
 このような岡山潔TAMA音楽フォーラム代表の紹介があったのち、ハイドン・プロジェクトで録音した作品76-3「皇帝」で、コンサートが始まった。チェロを除く3人の奏者が立って演奏する珍しい団体である。その効果もあるのか演奏は、若々しく、生気に満ちている。
 
 
 
 続いて、この日のメインといえるカロル・シマノフスキーの弦楽4重奏曲第1番作品37(1917)のレクチャーと演奏があった。まず、4人の奏者がかわるがわる作曲家と作品について説明し、必要なところで、実演がついた。レクチャーは微細にわたったが、主な内容は次の通り。
 
 
 
*シマノフスキー(1882~1937)は20世紀のもっとも重要なポーランドの作曲家であり、ショパンの伝統を引き継いだ。そして、パデレフスキー、ペンデレツキ、グレツキに橋渡しをした人である。
 
 
 
*今やその評価は世界的に高まっていて、例えば、ベルリン・フィルのサイモン・ラトルは交響曲や「スタバート・マーテル」を好んで演奏している。かれは「交響曲第3番とルトワフスキに強い関連があるのがわかった。私はシマノフスキーの音楽に恋をしている。彼はその時代にほかの誰とも違う音楽を書いた」といっている。
 
 
 
*弦楽4重奏曲第1番でも、ポーランドのスラブ的音楽という点でショパンの伝統を引き継いでいる。さびしさ、孤独と情熱がはっきりと表現されている。その寂しさは、1917年のロシアの10月革命で家を失ったことと関係があるかもしれない。画家が描くようにポーランドの風土を描き出している。冒頭は失った祖国を哀惜するかのようだと第1ヴァイオリンのザレイスキが第1楽章の序奏を弾いた。ハイドンの手法とは違う独自の世界、20世紀の人が独立的な、近代社会を表している。4声部が複雑に独立し、調性はハ長調だが、その調性はぼやけている。
 
 
 
*第2楽章は夢と想い出の歌である。テーマと変奏、自由な音楽だ。主題の断片をさらに変奏する手法をとっている。調性はなく、拍子が頻繁に変わる。変奏ではトレモロなどいろいろな手法を駆使する。第1楽章のテーマがここにも表れる。ドビュッシーやレーガーの影響を見せつつも独自の世界を作っている。シマノフスキーの緩徐楽章は本当に美しい。
 
 
 
*最終楽章は本来、第2楽章にするはずだった。だから軽やかで、ネオクラシカルな曲想で、ポーランドの民謡を素材としている。明るく、ユーモアに満ち、グロテスクでもある。
 
 
 
*最後の部分のフガートで注目すべきは、4つのパートが違う調性で書かれている点だ。そして20小節から4つともハ長調になる。ベートーヴェンの「運命交響曲」第3楽章と似たリズムが聞こえる。こう説明しながら、その部分を実演して見せた。
 
 
 
 このような説明の後、全曲が演奏された。きわめてダイナミックで真摯な演奏であった。シマノフスキーの素晴らしさを啓蒙してもらった気がした。
 
 
 
 このあと、ヤナーチェクの弦楽4重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」(1922)が演奏された。こちらは、ポーランドとは違うチェコのモラヴィア的語法の音楽。トルストイの同名の小説に基づくヤナーチェク晩年の作品である。ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタの旋律も顔を出す。これも迫力に満ちた切実な演奏であり、この曲の愛と苦悩を綿密に表現した。
 
 アンコールとして、ストラヴィンスキーの弦楽四重奏のための小品が演奏された。
 
 
 
 この日はハイドンの名作の後、あまり日本でプログラムに乗らない、東欧の民族色あふれる近代の室内楽作品が素晴らしい演奏で聞けたところに、大きな意義があった。TAMA音楽フォーラムの活動の多彩さを証明した一日となった。
 
 
 
(西谷晋記)
 
 
 
 
 
 
 

 

「Beethoven ピアノ三重奏曲」その1

 
 
 
講 師:植田 克己 (ピアニスト、東京藝術大学教授・音楽学部長)
 
 
 
2012年12月16日(日)午後3時~ スタジオ・コンチェルティーノ
 
 
 
 
 
 この日は2012年最後のセミナー。小春日和に逆戻りしたような好天に恵まれた。植田克己先生は「本当は外を散歩したほうがよさそうですが・・・」と穏やかな表情であいさつ。これに先立って、岡山潔TAMA音楽フォーラム代表が「その1と言うからには、その2、その3があります。植田先生に講師をお願いしたのは、先生がベートーヴェンのピアノ曲を室内楽や歌曲も含めて全曲演奏され、私も共演させて頂いたからです」と紹介の弁。植田先生のベートーヴェンシリーズは1986年から2005年まで20年間にわたり、全部で27回、32曲のピアノソナタをはじめ変奏曲、室内楽曲、歌曲などを網羅した。文字通り、快挙であり偉業である。その植田先生の指導を受ける今日の受講生6人は実に運がいい。
 
 
 
 セミナーの模様をレポートする前に、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲(ピアノトリオ)について簡単に触れる。電子百科事典「ウィキペディア」日本語版などによると、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲にはジャンル別の番号が付与されているものが11曲ある。セミナーではこれら第1~第11番の番号はつけず、調性とベートーヴェン自身がつけた作品(op.)番号で表記している。以下の表は分かりやすくするねらいから、敢えてジャンル別番号順に並べてある。
 
 
 
・第1番変ホ長調op.1-1(1794年作曲)
 
・第2番ト長調op.1-2(1795年作曲)
 
・第3番ハ短調op.1-3(1795年作曲)
 
・第4番変ロ長調「街の歌」op.11(1797年作曲)
 
・第5番ニ長調「幽霊」op.70-1(1808年作曲)
 
・第6番変ホ長調op.70-2(1808年作曲)
 
・第7番変ロ長調「大公」op.97(1811年作曲)
 
・第8番op.38(1799年作曲の七重奏曲変ホ長調Op.20の編曲=1803年)
 
・第9番変ホ長調op.なし(1791年作曲)
 
・第10番「創作主題による14の変奏曲」op.44(作曲年を「ウィキペディア」日本語版は1792年、同ドイツ語版は1800年、J.B.Metzler 出版社のDas neue Lexikon der Musik=1996年版=は1792~1803年と記述)
 
・第11番ト長調(アダージョと、ヴェンツェル・ミュラーのジンクシュピール「プラハの姉妹」の「私は仕立屋カカドゥ」の主題による10の変奏曲とロンド)op.121a(1803年作曲?1816年に改訂)
 
  (注)第1~11番以外の曲には1楽章だけのもの、交響曲第2番ニ長調op.36をピアノ三重奏曲用に編曲したものなどがある。
 
 
 
 上記のop.は「作品」という意味のラテン語opus(ドイツ語ではOpus)の略号で、次に数字が来ると作品番号を意味する。ベートーヴェン(1770~1827年)は作曲家自身が作品番号をつけた先駆者のひとりとされている(必ずしも作曲順ではない)。彼は1782年ころから作曲を始め、op.番号がない変奏曲、ピアノ独奏曲、歌曲などを数多く残している。後に第9番とされたピアノ三重奏曲変ホ長調(1791年)もop.番号がないが、本人は習作のつもりだったのだろうか。そうだとすると、セミナー前半の課題曲(第3番ハ短調op.1-3)を含むop.1の3曲は彼自身が初めて世に問うた自信作と言える。
 
 ピアノ三重奏曲はピアノ(Pf)、ヴァイオリン(Vn)、チェロ(Vc)の組み合わせが一般的だが、セミナー後半の課題曲である第4番変ロ長調「街の歌」op.11はヴァイオリンに代えてクラリネット(Cl)が使われる。これらのうち、とりわけ有名なのが、ベートーヴェンが彼のスポンサーであり、弟子でもあったルドルフ大公に献呈した第7番変ロ長調「大公」op.97(ルドルフ大公はピアノがうまく、作曲もしたという)。
 
 
 
セミナー前半のハ短調(c-moll)op.1-3の受講生はいずれも桐朋学園大学大学院に在籍の早坂なつき(Pf)、亀山晴代(Vn)、Park Hyun-Ah(Vc)のお三方。植田先生はまず、「op.1 はベートーヴェンの出世作、いわば決意表明をした曲です。師匠のハイドンに楽譜の出版をやめたら、と言われた。ハイドンの気持ちはわからないでもない。ハイドンはベートーヴェンの持つ恐ろしさを感じたのかもしれません。ハ短調は『運命』(交響曲第5番)、『悲愴』(ピアノソナタ第8番)と同じ調性で、緊張をはらんだ出だしです」と解説し、「3人の気持ちがひとつになっていますか。それぞれの楽器の個性を考えに入れて、たとえばピアニッシモはどのようなピアニッシモなのか3人でよく考えて」「ピアノの左手と弦だけで弾いてみて下さい」「すると、ヴァイオリンとチェロのやりとりも変わってくるかな」などと注文をつける。自らピアノに向かう一方、ひとりひとりに意見を聴き、「ピアノの右手はヴァイオリンと同じようにメロディを担当し、左手は低音を響かせると同時にチェロにリズムを与えている。少しがんばり過ぎています。ベートーヴェンのフォルテッシモは柔らかい」「3人で相談してもっと柔らかい世界を」などと、ていねいに指導。また、「ハイドンやモーツァルトのチェロのパートはピアノの左手と同じ場合が多いのですが、ベートーヴェンは独立しています」と、ベートーヴェンの革新性を指摘した。
 
 
 
 後半の変ロ長調(B-Dur)「街の歌」op.11は桐朋学園大学とパリ地方音楽院を卒業した稲生亜希子(Pf)、東京藝術大学と仏オーベルヴィリエ・ラ・クールヌーヴ音楽院を卒業し、現在は日本フィルハーモニー奏者の芳賀史徳(Cl)、桐朋学園大学大学院修了の佐藤翔(Vc)のお三方が受講した。植田先生は「皆さんの演奏はバランスもよく、言うことはないような感じですが」と前置きしつつ、「これは3つの楽章の曲で、ディヴェルティメント(喜遊曲)の性格をもった明るい曲です。第一楽章Allegro con brio はゆっくりすると、もたれて重くないやすい。出だしはもう少し・・・」「この曲は楽器によって強弱の記号が同じでないところがある。その面白さを考えて」などと、相次いでハイレベルの注文。最後に、コンサート出演のために待機していたクラリネットの山本正治・東京藝術大学教授(日本クラリネット協会会長)、チェロの河野文昭・東京藝術大学教授(岡山潔弦楽四重奏団メンバー)のお二人からそれぞれ「この空間をうまく使うようにしてほしい。ダイナミックレンジを適切に」「ベートーヴェンは作曲するたびに新しいアイデアを盛り込もうとした。何か変だなというところがたくさんある。それがなぜなのか、さぐりながらやってほしい」とのコメントがあった。
 
 
 
 なお、「街の歌」の原語Gassenhauerとは、もともと「夜中に街を歩く人がうたう歌」という意味で、後に「路上でうたわれる、皆が知っている通俗的な、月並みな、あるいはつまらない歌」となり、さらに「流行歌」を指すようになった。「ウィキペディア」ドイツ語版によると、op.11にこの呼び名をつけたのは、オーストリアの作曲家ヨーゼフ・ヴァイグル(1766~1846年)の喜歌劇「船乗りの愛または海賊(L’amor marinaro ossia Il corsoro)」のメロディが1797年の初演以降ウィーンで流行ったのをうけて、ベートーヴェンがこの主題を編曲して変奏曲とし、第3楽章に使ったからだという。
 
 
 
日没後のコンサートは植田先生(Pf)、山本先生(Cl)、河野先生(Vc)による後半の課題曲「街の歌」の模範演奏。ベートーヴェンは「月並みな歌」でも、やはり次元が高い。そしてアンコールは七重奏曲変ホ長調op.20(1799年作曲)を作曲者自身がピアノ三重奏用に編曲(1803年)した第8番op.38から第3楽章のメヌエット。3つの楽器のバランス、絡み合い、落ち着いた室内楽の雰囲気――コンサートを通して、より高い芸術としての響きを実感できた。
 
(走尾 正敬) 
 
 
 
 
 

「夏目漱石が聴いた室内楽」

     レクチャー&コンサート
    
      講師:瀧井敬子
   2013年1月12日(土)15時開演 スタジオ・コンチェルティーノ
 
 本日の講師、瀧井さんは、明治の文豪のクラッシック音楽の受容について研究してこられた第一人者です。という岡山潔TAMA音楽フォーラム代表の紹介でセミナーは始まった。瀧井さんは現在、東京芸大特任教授、くらしき作陽大学特任教授で、著書に「漱石が聴いたベートーヴェン」などがある。
 瀧井さんの熱のこもった話の中に音楽演奏が織り込まれる形でセミナーは進行した。瀧井さんの話は要点に絞って紹介する。
 *序曲ともいうべきか、明治35年ごろ、ドイツで勉強した滝廉太郎のピアノ小品「憾み」を野田清隆氏が演奏した。そのころ漱石はまだロンドンにいた。
 *漱石は明治の近代化に批判的だったが、音楽、絵画などは心を豊かにすると評価していた。それは、「草枕」の冒頭部分によく表れている。「とかくに人の世は住みにくい」が、住みよくするために詩人や画家ができる。「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、ひとの心を豊かにするがゆえに尊い」。
 *漱石は音楽に造詣の深い寺田寅彦との交遊を通じて、次第に音楽の世界に深く入り込んでいく。奥さんを亡くした寺田はしきりに千駄木の漱石を訪ね、一緒に上野の奏楽堂に音楽を聴きに行く。当時奏楽堂は音楽学生のためだけでなく、来日外国人音楽家の演奏の場、また、インテリや金持ちの交流の場でもあった。
 *漱石の「野分」は寺田がモデルとなっている。部分的に高柳君に漱石に気持ちが入っている。金持ちの才子中野君が、音楽に疎い高柳君を初めて奏楽堂に連れて行くところ(第4節)がある。ここでは高柳君の目を通して、奏楽堂の情景、演奏会の印象が描かれる。音楽が秋の色に染まる。曲目の第一は「バイオリン、セロ、ピヤノ合奏とある。高柳君はセロの何たるかを知らぬ」と漱石は書く。当時、ピアノトリオというとまずメンデルスゾーンの作品49が思い浮かぶ。ここでその第1楽章の演奏をしていただく。第1楽章の演奏はヴァイオリン岡山潔、チェロ河野文昭、ピアノ野田清隆。
 *わたし(瀧井)も「野分」を読んで、メンデルスゾーンだと思ったが、違っていた。
「日本の音楽百年史」では「ゲーテ作」とある。おかしいと思って、元資料の明治39年の音楽新報12月号に当たると「ゲーデ作」となっていた。これで、このピアノトリオがデンマークの作曲家ニイルス・ガーデ作とわかった。彼は1843年にライプチヒに行きそこでメンデルスゾーンと親しくなり、ゲヴァントハウスの第2指揮者、そしてメンデルスゾーンの死後、第1指揮者に昇格する。交響曲8曲を作るなど当時は有力な作曲家だった。
*それでは、「野分」で高柳君がつまり漱石がきいたガーデのピアノ3重奏曲ヘ長調作品42を演奏してもらう。演奏者は先ほどと同じ。めったに演奏されない4楽章のロマン主義初期の作風の曲である。
 *千駄木で「野分」を書いた後、漱石は早稲田に引っ越す。「漱石山房」である。仕事も朝日新聞に移る。明治41年3月、漱石は寺田寅彦に書く。「日曜の音楽会に行きたい。新しい外套を着て待ち合わせ場所をお知らせ願いたい。「ホトトギス」原稿がかかりそう。前日までに出欠は連絡」。実際この年の3月22日の演奏会を寺田と聞きに行った。ユンケル、ベルクマイスター、幸田こうなどが演奏した。漱石は「セロ」に関心を抱いていた。前年10月来日したベルクマイスターを好んだせいかもしれない。
 *漱石は江戸っ子でおしゃれ、寺田は高知出身の田舎の人、服装の点では漱石から落第点をもらっていたと寺田は言う。当日の寺田の日記によると、昼食後、フロックコート姿の漱石を迎えに行って会場へ、最後のドヴォルザークのピアノ5重奏曲(イ長調、作品81)は大変な喝采だった。ここで、漱石と寺田が聴いたこの曲の4楽章全部を聴いてもらう。演奏はヴァイオリン岡山潔、服部芳子、ヴィオラ大野かおる、チェロ河野文昭。
 *漱石はさらに音楽好きが高じていく。明治42年に寺田に書く。「君の留守にピアノを買った」。代金400円は「三四郎」初版の印税で賄った。その後も漱石は寺田と何度も音楽会へ行った。二人は音楽を通じて結ばれていた。漱石の芸術観は「草枕」と「野分」によく表れている。漱石の子息、純一さんがヴァイオリニストになったのも漱石の音楽愛好と結びつく。
 *ピアニストのグレン・グールドは漱石、とくに「草枕」を愛好した。冒頭部分を繰り返し読み、書き込みもしていた。グールドは自分の思いを漱石と重ね合わせていたといえよう。
 この充実したセミナーは、グールドと縁の深い、バッハのフランス組曲からサラバンドを野田清隆氏が弾いて終了した。最後のあいさつで岡山氏が若いころ、オーケストラとあちこちで協演した時、コンサートマスターであった漱石のご長男、夏目純一さんにかわいがられて、よく夏目邸に遊びに行ったことなどを聴衆に披露した。(西谷晋記)
 
 

  「モーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタ」

      講師:小林道夫
   2013年2月11日(月)15時~18時。スタジオ・コンチェルティーノ。
 
 世界的なピアニストで、故ジェラルド・ムーアに並ぶ伴奏の名手といわれる小林道夫先生の第3回目のモーツアルト・セミナーである。
 
 最初の曲は変ロ長調K454のソナタで、受講生は東京芸大2年生の生熊茜さん(Pf)と同3年生の清水公望さん(Vn)。まず第1楽章ラルゴ・アレグロを通して演奏した。小林先生は「この曲は難しいですね」と感慨深げに言う。「ラルゴは少し遅すぎた。ラルゴは流れておればよいのだが、遅いとよく流れないことがある」「4分の4拍子だから四分音符を意識して引くように」「5小節目から新しいメロディが入ってくるが、さあ行くぞ、と力んではいけない、もうすこしさりげなく。ピアノはあまりクレッシェンドしないで。ヴァイオリンはレガート、ピアノはスタッカートがちゃんと出るように」。要約しても序奏だけでこれだけの注意である。二人は、先生の注意に熱心にうなずいて、演奏を重ねる。
 
 アレグロ部では「二人ともに固くならないように、もっと軽やかにPで進むこと。テンポが加速しないように。46小節あたり、ピアノは走らないこと、ヴァイオリンが入りにくいから。ヴァイオリンは品よく、音を押さないように」などの指摘があった。
 
 展開部では、ピアノの出だしについて「メロディだと思って弾きなさい」また「休止符にも意味があるのです」。再現部直前のところでは「次どうしようかモーツアルトが探っている趣があり、そのように演奏したい」と語った。
 
 第2楽章では、頻出するスフォルツァンドの扱いについて「手づかみするように演奏したい。スフォルツァンドは目立たせたいということだから、たっぷり音を取るといい」。また、音楽の進行の際、ヴァイオリンが上声部か、ピアノが上声部かをわきまえて演奏するようにとの忠告もあった。36小節以降のところのヴァイオリンとピアノの掛け合いの対照を際立たせるように、との発言もあった。
 小林先生の懇切な指導のため、時間切れで、第3楽章は部分的なレッスンにとどまったが、30小節のピアノは、力まないようにとの注意があった。また、58小節以降を弾かせたあと、「そうなるのではないかと」と笑いながら、「ここは音が合っているだけではだめなのであって、楽しく弾くように」とのアドヴァイスが印象に残った。
 
 休憩後、ソナタヘ長調K377のレッスンに移った。受講生は京都市立芸術大学大学院修了後、ウィーン音楽芸術大学を卒業した香取由夏さん(Pf)と東京芸術大学大学院修了後ウィーン音楽芸術大学留学中の瀧村依里さん(Vn)。
 
 第1楽章の始まりのところですかさず注意があった。「ペダルをあまり踏まないように。音が曇るきらいがある」。このほか「4つの下降音の3つ目が強すぎる。ピアノにやや緊張感が欠ける。テンポを安定させるように。ピアノは軽やかで楽しく、ロマン派的にならないように」。また、ヴァイオリンが3連音符を弾いているとき、その3連音符をピアニストは腕に感じながら弾いてほしいという意味深い指摘があった。さらに「提示部全体がひとつの弧をなしているから、それを頭において演奏してほしい」と語った。34から35小節が音符の数も多く、一番ダイナミックなところなので、ここに向かって弾くつもりで、との言葉もあった。ピアノは重くならずに、ややソプラノ的に、という面白い指摘もあった。展開部に入っても「ペダルが多くなった、ペダルを節約して」と注意された。このほか「下降の音型でのクレッシェンドはなるべくやらないこと。モーツァルトのような古典派音楽の場合、音楽の波のうねりを逆にしない方がよい」「モーツァルトの場合、書かれたものがそのまま音になるのが一番いいのではないだろうか」「基本に忠実に。それからいろいろ工夫を重ねるのはよい。初めからそれをやらない方がよい」など印象深い言葉があった。
 
 第2楽章の出だしのピアノの装飾音型を柔らかく弾くよう、実演して見せた。また「ピアノという楽器はスタッカートで音が短くなりすぎる傾向があるから、そうではなく、自然に音楽の流れがよくなるように」とも語った。78小節の変奏では、テンポが速すぎはしないか。前の変奏との調和をはかるように、と注意した。86小節あたりの演奏では、「羊羹みたいだ。もう少しフレーズの角を落としてごらん」また「安っぽい言い方だが、もう少しさびしい音楽を作ってくれる」などと語りかけた。
 
 フィナーレでは時間切れだが、「テーマを一息で弾くように」「細かい音符は細やかに演奏するように」などの注意があり、公開レッスンは終わった。
 
 休憩の後、コンサートに移り、小林道夫のピアノ、岡山潔のヴァイオリンで、モーツァルトの12の変奏曲K359とソナタ変ホ長調K380が演奏された。K359では各変奏がまさに変幻自在に展開されていく面白みを感じさせた。ソナタでは、堂々たるソナタ形式の第1楽章に続いて、哀愁と侘しさのこもったアンダンテ楽章、さらに春の到来を思わせる、しみじみとした喜びに満ちたフィナーレへ変転した。モーツアルトの輝きと高貴が見事に表現されたというほかはない。そして、アンコールとして、ディヴェルティメント第15番K287のアダージオ楽章のヴァイオリンとピアノのための編曲版が演奏された。うっとりと目を閉じて聞き惚れるご婦人の姿が、目の片隅に映った。短いながら余韻の残るコンサートとなった。
 
 最後に岡山潔TAMA音楽フォーラム代表から、小林道夫先生のモーツァルト・セミナーが大変な好評なので、もう一回の追加を予定しているという嬉しい知らせがあった。
(西谷晋記)
 
 
 

 「メンデルスゾーンのヴァイオリン・ソナタ」

講師 星野宏美
2013年3月9日(土)  スタジオ・コンチェルティーノ
 
「きょうの公開レッスンの課題曲は、メンデルスゾーンのヴァイオリン・ソナタ へ長調です。この曲が作られた1838年は、30歳になろうとしているメンデルスゾーンにとって、幸福な年でした。しかし、ほぼ同時期に作曲されたピアノ・トリオや弦楽四重奏曲(作品44の三曲)がまもなく出版されたのに、ヴァイオリン・ソナタはとうとう出版されないままでした。メンデルスゾーン自身、この曲について『不出来なソナタだ』ともらしてもいます。でも、はたして本当にそうなのでしょうか」。
メンデルスゾーン研究を専門とする立教大学教授、星野宏美さん(東京藝大音楽学部楽理科卒、同大学院修了)は、こんな問題提起から話し始めた。音楽学者として、「特に自筆譜の調査検証で国際的な評価を得ており」、ドイツの著名な楽譜出版社ベーレンライターから、メンデルスゾーンのヴァイオリン・ソナタ全集を校訂・出版している気鋭の研究者の問いかけは、この日の会場にずっと留まり続け、聴衆を絶えず刺激し、考えさせ続けた感がある。
 
公開レッスン一組目の清岡優子(Vn)、大野真由子(Pf)さんが、まず第一楽章を通して演奏する。いかにもメンデルスゾーンらしい溌剌たるピアノの序奏から始まる楽章は、輝かしく堂々としていて、「不出来」などとはとんでもない、というのが大方の聴衆の受け止め方だったように思えた。
 
「どうでしょうか、弾いてみて」との星野さんの質問に、清岡さん、大野さんからは「ちょっとくどい所がある」「はまってくると楽しい」などと率直な感想が返ってきた。ここで星野さんは、この曲にからむ「秘話」を披露してくれた。メンデルスゾーンは、ユダヤ系の出自のために第二次世界大戦の時期にナチス政権によってその作品が迫害され、演奏禁止などの措置を受けた。戦後になって、イギリスのヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインがその復活に取り組んだ際、メンデルスゾーンが色々と苦労して書いてみて、走り書きして削除してしまった部分を、削除・短縮した形で演奏したことから、以後ずっと短い版が広く流布し、受け入れられることになった。
 
メンデルスゾーン生誕200年にあたる2009年を機に、改めてその作品が出版されるに際し、星野さんは削除部分を復元した新しい版を作った。さらに、この曲には冒頭部分などにも音域が大きく異なる改変があり、新しいベーレンライター版にはそうした細かい異同が、自筆譜を検討した上で書き添えられているという。
 
二人の演奏者がそうした改変・異同箇所を実際に弾き比べてみて、「ああ、弾きにくい」と感想をもらすのを聴けるのは、めったにない貴重な機会だろう。この辺りから、岡山潔・TAMA音楽フォーラム代表が加わって、「メンデルスゾーンの曲は、いつも気持ちがはやっている音楽なんだけど、符点はハネないほうがいいのでは」「第2主題の前に鐘が鳴るところ、もっとインテンポで鳴らしてもいいと思う」と、この曲を熟知する演奏家ならではの講評を矢継ぎ早に。続く第二楽章では、星野さんの「自筆譜を見ると、この楽章にはほとんど書き直しがないんです。気持ちのいい曲調で、歌いながら語っている感じですね」の言葉に応じて、岡山さんから「でも演奏はのっぺりしていて、ちょっと退屈だな。もっとおしゃべりをしてもいいのでは」と率直な指摘があった。
 
二組目の西川茉莉奈(Vn)、吉武優(Pf)さんは、演奏に先立って「(星野さん、岡山さんが)おっしゃっていたこと、すぐには出来ないんですけど」と弱気を漏らしたが、第一楽章を通奏した後の講評は「とてもきらびやかで、(メニューインが短縮した)コーダ部分も、短さを感じさせない盛り上がりでした」(星野さん)、「ベーレンライターの新版の楽譜をよく読み込んでいるな、と思いました。とくに符点の長さが的確だった」(岡山さん)と好意的。西川・吉武組はホッとした様子で、第二、第三楽章へと弾き進んだ。
 
第三楽章は、星野さんによれば「メンデルスゾーンは何度も書き直しており、もしかするとロンドの部分は切りたかったのかもしれない」のだそうで、ここでもメニューインは「35小節ほどカットしている」。さらに、最初は付いていた符点を取ってしまったり、スラーの記号を鉛筆で消した箇所がある、という。快活なこの楽章のテンポについて、岡山さんから「後半はいいテンポになったけれど、最初が速すぎたのでは」の指摘があり、演奏者はその都度、取った符点を付けて弾いたり、「あまり速すぎない、良いテンポで」弾き直したりした。
 
これより先、岡山さんは「楽譜の大切さ」について話してくれた。「演奏家にとって、頼れるのは楽譜だけなのです」という言葉は、当たり前といえば当たり前かもしれないが、この人の口から出ると千金の重みがある。楽譜をいかに読み込み、そこから何を、どのように表現していくか。その創造の現場を、しかも楽譜の校訂者が同席する場で実見できたこの日の聴衆は幸福だったと思う。
 
二時間以上に及んだ二組の公開レッスンが終わり、休憩の後は、山本美樹子さん(Vn)と奈良希愛さん(Pf)によるコンサートで、メンデルスゾーンのヴァイオリン・ソナタ ヘ短調(1823年)と、この日三度目となるへ長調ソナタが演奏された。弾く側としては、公開レッスンの直後にその課題曲をというのはさぞやりにくかったのでは、と思えるが、見事な演奏だった。とくに、十代の若者が書いたとは信じられないヘ短調ソナタを耳にして、改めてメンデルスゾーンがモーツァルト、シューベルトと肩を並べる天才だったことを実感しつつ、充実感と幸福感を抱いて帰途についたことだった。
(舟生 素一)